大人も子供も自由に創作できる「空間」を提供しております。
子供のアトリエにおいては
「アートが育てる心と能力・親の為の子育てサポート」をしております。
(アートランドのHP)http://www.art-land.jp/
一言で言うなれば、「色」を研究する学問です。
みなさんが見ている「色」というのは、「光」です。
「光」が、物体に当たり 反射しているものが「色」なのです。
その「色(光)」の本質を研究する学問なのです。
「色」には気分以外にも 実際に身体まで変化させる力があります。
「色彩」はみなさんが考えているよりも はるかに
複雑にそして強く生活に関わっているものなのです。
一般には(芸術療法)と言われているものです。
アートセラピー(芸術療法)の範囲は広く、絵画だけでなく音楽やダンスなど
創作表現全般をさす場合もありますが、アトリエでは「色彩」による表現
(描画・ぬり絵・工作)などの創作を中心に「治療」を目的ではなく「癒し」を
目的に活動をしております。
2021.12.11
子どものこころに合わせるという事
アトリエでは いろいろな材料や道具を揃えてある。
「作品をつくる」とういう作業をするには
殆ど事足らないであろう状態になっている。
もちろん「こども」が対象ではある。
それでも 時が変われば必要となる道具や材料は
変わってくるもので その都度必要と
されているものは ボチボチ揃えていく。
そのなこんなで16年。
なかなか 快適に作品を作れる環境になったと
嬉しく思いアトリエを眺める。
そう。
「環境」。
いろいろな画材や道具を揃えて環境を整えていても
子どもが「使いたい」と思うかどうかは
子どもの気持ちなのである。
大人から見れば お金払って 「こんなのしか作らない」とか
「こんな家でもあるような材料しか使わない」とか。
家にあるような材料の方が
安心して使えるんだという事がわかってもらえない。
使ったことのある材料や道具の方が
安心して表現できるんだという事がわからない。
見たことない画材を躊躇なく使えるのは
チャレンジ精神が旺盛な子だったり・・・。
画材を選択するのも その子のその時のこころが決めるのである。
使いたくなったら。
何も言わなくても 使うものである。
画材棚を物色?(笑)して 宝物を見つけたかのように
「こんなのあったんだ!」
と言いながら 使い始める。
アトリエに来ている子で
こんな子がいる。
道具も材料も持参で来るのである。
アトリエに全部揃っていて
持ってこなくてもいいのに
自分の道具と材料を持ってくる。
それに対して お母さんは
何も言わず 子どものこころに任せてくれる。
こちら側としては
お月謝を頂いている以上 正直 辛いところでは
あるのだが・・・笑。
でも その子のその姿をみていると
上記の事が 当てはまってくる。
自分なりに 納得のいく作品を作りたいから
自分の使い慣れた道具と材料を持ってくるのである。
それと アトリエのどこに何があるのかを
まだ 完全にわかっていないのとほしいものがあった時
都度 私に聞かなければいけなくなる。
そのコミュニケーションが苦手だと それを少しでも
減らすためには 持参することが 一番いいのだ。
本人なりの知恵である。
半年ほど経った頃から 道具を持参しなくなった。
そして アトリエの画材棚を物色(笑)するようになった。
多くは語らず。
黙々と自分のイメージする作品を作り上げている。
子どものこころのペースは大人にはなかなかついていけない。
かくいう私も偉そうな事は言えず・・・(笑)
念仏を唱えるように「待つ」を意識している。
うーッ・・・って思うほうが多いかも(笑)。
しかし、じーっと観察していると
本人なりに いろいろ考えて 理由があっての行動のようだ。
こうやって 子どもの自由が保障されているアトリエは
大切なんだと思う。
「作品をつくる」とういう作業をするには
殆ど事足らないであろう状態になっている。
もちろん「こども」が対象ではある。
それでも 時が変われば必要となる道具や材料は
変わってくるもので その都度必要と
されているものは ボチボチ揃えていく。
そのなこんなで16年。
なかなか 快適に作品を作れる環境になったと
嬉しく思いアトリエを眺める。
そう。
「環境」。
いろいろな画材や道具を揃えて環境を整えていても
子どもが「使いたい」と思うかどうかは
子どもの気持ちなのである。
大人から見れば お金払って 「こんなのしか作らない」とか
「こんな家でもあるような材料しか使わない」とか。
家にあるような材料の方が
安心して使えるんだという事がわかってもらえない。
使ったことのある材料や道具の方が
安心して表現できるんだという事がわからない。
見たことない画材を躊躇なく使えるのは
チャレンジ精神が旺盛な子だったり・・・。
画材を選択するのも その子のその時のこころが決めるのである。
使いたくなったら。
何も言わなくても 使うものである。
画材棚を物色?(笑)して 宝物を見つけたかのように
「こんなのあったんだ!」
と言いながら 使い始める。
アトリエに来ている子で
こんな子がいる。
道具も材料も持参で来るのである。
アトリエに全部揃っていて
持ってこなくてもいいのに
自分の道具と材料を持ってくる。
それに対して お母さんは
何も言わず 子どものこころに任せてくれる。
こちら側としては
お月謝を頂いている以上 正直 辛いところでは
あるのだが・・・笑。
でも その子のその姿をみていると
上記の事が 当てはまってくる。
自分なりに 納得のいく作品を作りたいから
自分の使い慣れた道具と材料を持ってくるのである。
それと アトリエのどこに何があるのかを
まだ 完全にわかっていないのとほしいものがあった時
都度 私に聞かなければいけなくなる。
そのコミュニケーションが苦手だと それを少しでも
減らすためには 持参することが 一番いいのだ。
本人なりの知恵である。
半年ほど経った頃から 道具を持参しなくなった。
そして アトリエの画材棚を物色(笑)するようになった。
多くは語らず。
黙々と自分のイメージする作品を作り上げている。
子どものこころのペースは大人にはなかなかついていけない。
かくいう私も偉そうな事は言えず・・・(笑)
念仏を唱えるように「待つ」を意識している。
うーッ・・・って思うほうが多いかも(笑)。
しかし、じーっと観察していると
本人なりに いろいろ考えて 理由があっての行動のようだ。
こうやって 子どもの自由が保障されているアトリエは
大切なんだと思う。
2019.08.17
人 それぞれの・・・
この仕事をしていると
子供の事だけではなく
自身の事を お話されに来る方も
いらっしゃる。
世の中的には、非難されるであろう内容でも
良し悪しは、横に置いておいて
まっさらな状態で話を聞く。
クライアントは、「解決」を
望んでいるわけではない。
ただ、誰にも言えない心のうちを
どこかで吐き出したいのである。
個人的な考えは その間には
入れることなく 話を聞く。
話を聞いていると 見えてくるものがある。
クライアント自身の揺るぎない「想い」だ。
世の中の良い・悪いに流されて
自信がなくなり 自分の「想い」は、
心の奥底に閉まってしまう。
「自分は本当は こうしたいんだ!」
そんな想いを知った所で
特に背中を押すことも 止めることもしない。
それすらも 自身で決める事である。
カウンセリングは、「技術」だと感じる。
そこには、私の個人的な感情は、
入れてはいけない。
あくまでも クライアントの考えを整理整頓の
手伝いをするのが役目である。
そこから クライアント自身が 自分の想いに
気付き歩き出して行くのだ。
歩き出した道が 私の個人的な考えと
真逆であっても それが正しいのか
正しくないのかなど 余計なお世話なのだ。
歩き出した結果
クライアント自身が 幸せで楽しいと
感じるならそれは それで正解なのだろう。
人それぞれの想いや考えがある。
自分の「ものさし」で 相手をみてはいけない。
自分の「ものさし」で
クライアントをみて 考えを押し付けるように
なったら・・・私は この仕事を続けられない。
自信を持って言える事は・・・。
人の事をとやかく言える程
私の足元はしっかりしていない笑。
どちらかと言えば
グラグラである。
グラグラで 倒れる寸前なのに
必死で立っているから この仕事が出来ると
自負している。
子供の事だけではなく
自身の事を お話されに来る方も
いらっしゃる。
世の中的には、非難されるであろう内容でも
良し悪しは、横に置いておいて
まっさらな状態で話を聞く。
クライアントは、「解決」を
望んでいるわけではない。
ただ、誰にも言えない心のうちを
どこかで吐き出したいのである。
個人的な考えは その間には
入れることなく 話を聞く。
話を聞いていると 見えてくるものがある。
クライアント自身の揺るぎない「想い」だ。
世の中の良い・悪いに流されて
自信がなくなり 自分の「想い」は、
心の奥底に閉まってしまう。
「自分は本当は こうしたいんだ!」
そんな想いを知った所で
特に背中を押すことも 止めることもしない。
それすらも 自身で決める事である。
カウンセリングは、「技術」だと感じる。
そこには、私の個人的な感情は、
入れてはいけない。
あくまでも クライアントの考えを整理整頓の
手伝いをするのが役目である。
そこから クライアント自身が 自分の想いに
気付き歩き出して行くのだ。
歩き出した道が 私の個人的な考えと
真逆であっても それが正しいのか
正しくないのかなど 余計なお世話なのだ。
歩き出した結果
クライアント自身が 幸せで楽しいと
感じるならそれは それで正解なのだろう。
人それぞれの想いや考えがある。
自分の「ものさし」で 相手をみてはいけない。
自分の「ものさし」で
クライアントをみて 考えを押し付けるように
なったら・・・私は この仕事を続けられない。
自信を持って言える事は・・・。
人の事をとやかく言える程
私の足元はしっかりしていない笑。
どちらかと言えば
グラグラである。
グラグラで 倒れる寸前なのに
必死で立っているから この仕事が出来ると
自負している。
2017.09.18
「おひとりさま」のカフェセラピー
子供も大人も完全予約制のアトリエです。
土曜日のみオープンしている、気ままなアトリエであります。
たまに、ご要望があれば祭日とか 平日の夜にお受けすることが
あるのですが、それは 大人の方の「おひとりさま」の
カフェセラピーです。
誰かと一緒ではなく 一人で話をしたい。
そんな方の為に オープンするアトリエです。
「アート」にこだわらず、ただ おしゃべりしている時間。
答えを見つけたいのに 答えを拒否している方。
私は大丈夫!ストレスは溜まらないからと自身ありの方。
話す事は、ないんですが・・・(笑)と言いながらも来てくださる方。
いろいろですが、なんとなく ご利用いただいております。
皆様 それぞれにそれぞれの想いがあり その想いに縛られ
縛られることが辛い方もいれば 縛られていることで安心される
方もおられます。
私自身も然り・・・です。
今の自分の「想い」を口にする。。。というのは
やっていそうでいて やっていないし出来ないものだと
感じます。表現する(意識化する)というのは なかなか
勇気のいることです。
でも やった事により なんだか すっきりするのが
不思議な事であります。
月に一度は 自分の「想い」を
言葉やアートに表現してみるのはとても大切なことだと感じました。

theme : セラピー&ヒーリング
genre : 心と身体
2017.06.28
「理想」と「現実」
「保育」・「家庭」・「学校」・・・。
それぞれの現場は、「現実」の世界である。
「心理学」で唱えている内容は
いうなれば「理想」の世界だと思う。
言っていることは 正しい。。。
それらの事柄を 現実にしっかり 取り入れられたら
きっと いい方向に向いて行くんだろう。
末永メソッドを取り入れたアトリエを開き
教室では その理想を貫く事ができる。
もちろん メソッドを取り入れた内容は 結果も出している。
しかし 「現実」の生活となると わかっていても
なかなかその「理想」を実行するのは容易ではない。
自分自身では それらを実行したいと切に願っていても
「相手」がいるのである。
「相手」の今が「自分の理想」を実行できる状態にあるのかと
いえば それは難しい問題である。
結局それは、「自分」の忍耐・我慢の上に成り立つ事柄の方が多い。
「自分」は「人間」。そんなに「いい人」ではいられない。
「いい人」を演じ続ければ 壊れてしまう。
・・・。
アトリエを始めて しばらく経った頃に これらの事を
考えていた事がある。
アトリエだけに携わっていた頃。子育ても一段落していた私にとって
「現実」の世界は 過去の話となり 喉元過ぎれば熱さ忘れる・・・
そんな状況であった。
カウンセラーとしての目線は「子ども」目線であり 「親」目線も
意識はしていたものの やはり偏り気味になってしまう。
一つの世界だけを見ていれば物をみる目線というのは 偏り気味になる。
年月が経ち いろいろな体験をしていくと
一つの方向からだけ・・・という
物の見方をする事がなくなっていく。
切り口を変えて 物を見るようになる。
「養育者」の目 「先生」の目 「子ども」の目
「責任者」の目 「上司」の目・・・。
いろいろな角度から 見ることによって 感じ方や捉え方は
変わってくる。そうやって 角度を変えて相手をみていると
固執した自分の考えも緩んでくるものである。
緩んでくると「こういうものだ!」と思い込んできた自分に
笑いが出てしまい どうでもいいかな・・・と
気持ちが和らいでくるのがわかるものだ。
そんな事の繰り返しを送っているうちに 相手も変わってくくる。
不思議なものである。相手を変えるのではなく 自分が変わっていくと
相手も変わってくるから 関係も改善される。
もちろん 全てがそうではない。頑なに変わらない相手もいるので
そういう時には そんなもんかと思うくらいで流せばいい。
相手と自分は違う「人間」なので 10人が10人と
仲良く出来るわけではない・・・。
想いがサラサラ流れていくと 日々の生活はなかなか楽しいものである。
「現実」の世界に「理想」を取り入れていくのは なかなか難しい。
でも 知らないままだと 一つも取り入れる事なく過ぎて行くことも
「理想」の事柄を 知ることによって一つでも「現実」の生活に
取り入れる事ができれば ほんの少しずつでも変わって行くものだ。
そういう人たちが1人・・・2人・・・3人・・・と増えていけば
世の中暖かいものになっていくだろう。
人の気持ちを察して思いやれる子ども達が たくさん育っていく。
痛ましい事件が 日々起こっている昨今。
「人を育てる」事は「心を育てる」事であるという事を
自覚する事が大切であると痛切に感じる。

にほんブログ村

にほんブログ村
2017.06.27
久しぶりに…
ずっと Facebookでの発信が 殆どで
ブログの更新は おざなりになっておりました(汗。
アトリエ活動は、土曜日のみ行っており
平日は、幼児園にて補助員として 保育士さんの
お手伝いをさせていただいております。
アトリエでは、殆ど関わる事がない
0、1歳児を担当しています。
関わる事が少なっかた分 改めて学ぶ事が多いです。
今まで 保育園の他に 児童館も経験してきました。
現場を知って 「アトリエ」の存在というものが本当に大切である事を
痛感しています。